東大寺の大仏殿といえば、言わずと知れた奈良県を代表する観光名所です。

 

この建物は木造建築物としては世界最大級の規模を誇り、下に立つとあまりの大きさに圧倒されます。
今回はそんな東大寺大仏殿を360度見ることができるVR動画で撮影しました。

 

 

※この動画はスマホ画面をスワイプしたり、マウスをドラッグしたりすると上下左右に動かせます。

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東大寺ってどんなお寺?

ここは奈良時代に聖武天皇が鎮護国家の願いをこめて建立した大寺院であり、
日本始まって以来の一大国家プロジェクトとして建造されました。

 

 

座高が16メートルもある巨大な盧遮那仏像を建造するのに要した人員はのべ250万人。
500トンもの銅で表面が葺かれ、さらにその外側は金でメッキされていました。
そのため、現在では黒っぽくなってしまっている大仏様も、
できたばかりのころはまばゆいばかりの黄金色であったといいます。

 

 

大仏殿はその大仏を風雨から守るために建てられた、巨大な木造建築物。
幅57.5メートル、高さは49.1メートルもあり、座高が16メートルもある大仏をすっぽりと覆ってしまうほど巨大なものです。
ちなみに現在の大仏殿は3代目のもの。
奈良時代に建てられた最初の大仏殿は幅が86メートルもあったというのですから驚くばかりです。

 

さらに創建当初の東大寺には巨大な大仏殿の左右に高さが70メートルもある七重塔が一基づつ建っていたといいます。
どれだけ規模の大きな寺院であったかは想像に難くないことでしょう。

 

 

そんな創建当初の東大寺の様子は大仏殿の奥にある模型で再現されており、
この動画の中にも映っています。

 

 

 

東大寺は戦乱で2度消失した

東大寺が最初に建てられたのは西暦758年のこと。
当時、日本の首都であった平城京の東の端に建てられたことから「東大寺」という名がつきました。

 

 

そこから現在にいたるまでの日本の歴史はまさに内乱の歴史であります。
一時的な平和はあったものの、侍たちが領地をめぐって争い合う時代が永らくつづきました。

 

 

東大寺も歴史の荒波に揉まれ、2度も甚大な被害を受けています。

 

 

1度目は平安時代も末期の1181年のこと。
時の太政大臣・平清盛がまさに絶頂期を迎えていたころでした。

 

 

このころ、東大寺などの大寺院は強い政治的影響力をもっており、
平清盛による”内政干渉”に強く反発したのでした。
それに対し平清盛は、配下の平重衡に命じて「南都焼討」を実行します。

 

 

平重衡率いる平氏軍は奈良の町に火を放ち、その火が延焼して東大寺の大仏殿をはじめとする数々の伽藍を焼き尽くしたといいます。
このとき、聖武天皇の発願によって建てられた最初の大仏と大仏殿は失われてしまいましたが、それから14年後の1195年には鎌倉幕府を開いた源頼朝によって大仏と大仏殿は再建されます。

 

 

しかし、その大仏殿もそれから約350年後に2度目の災難に遭うことになります。
時は群雄割拠の戦国時代。東大寺がある奈良県では三好氏、松永氏、筒井氏などの戦国大名たちがしのぎを削っていました。

 

 

その中でも力のあった松永氏の当主・松永久秀が東大寺のすぐ近くの多聞山に城を築いていたのです。
事件が起こったのは1567年11月のことでした。
松永久秀と対立していた三好氏の武将たちと松永久秀の軍が東大寺付近で小競り合いをしていたときのこと。

 

 

松永側の重要な城である多聞山城のすぐ近くには東大寺がありました。
そしてこの東大寺が三好側の軍勢に占拠され、松永側の多聞山城を攻撃するための前線基地となっていたのです。

 

 

劣勢に立たされた松永久秀は一計を案じます。
なんと、東大寺に火を放って全て焼き払ってしまったのです。

 

 

源頼朝が再建した、巨大な大仏殿は紅蓮の炎に包まれました。
かくして2度めの戦火によって大仏殿は灰燼に帰したのです。

 

 

このあと、大仏殿は公慶上人の尽力によって1709年に復興されます。
戦国時代に焼失してから実に140年も経ってからのことでした。

 

 

そのあとも第二次世界大戦など焼失の危機に見舞われはしたものの、
危機を乗り越え現在にその姿を伝えています。
この動画では、そんな東大寺大仏殿の姿をVR動画で360度あますところなく紹介していきます。